こんばんは、就職活動の指向を若干変えてみたjargoneerです。
企業の知名度や格好良さそうな職種ということばかりに目が眩んでいたのですが、初心に戻り自分の好きなことを探し始めてみました。今まで以上に狭き道ですが、情熱をぶつけてみたいと思います。
今日は、最近の目下の生きがいである考古学の授業でした。
1コマ目のLectureはグループでのプレゼンがありました。
Themeは「遺物をモノの観点から考える」と言うもの。
Textとして使用している文献に、「物質・社会・観念」という視点から遺物の解釈を行うと言う手法があったので、それを土偶に適用することに。俺は理系らしく物質的観点からのアプローチを担当しました。
しかし、土偶とは面白いものです。
顔の造りや身体のバランスなんか、幼稚園児の粘土工作みたいな感じです。
(左:ハート型土偶 右:遮光器土偶)
もちろん当時の縄文人がこのような顔をしていたわけではありません。
彼らなりにデフォルメしたりアレンジしたArtなのでしょう。
何千年も前の縄文人は何を思ってこれらの像を作成したのでしょうか?
土偶はほぼすべて破壊された状態で発掘されており、また間接部分等をわざと壊れやすく作成しているなどというのを考慮すると、破壊するために存在したと考えられております。
手足に疾患が現れた場合には土偶を身代わりにしてその部位を破壊し、厄を取り払うために用いられていたのではといった感じ。
もちろん当時の文献など残っているはずも無く、推測の域を出ないものですが、皿や壷といった土器のように特定の用途もない土偶にはこういった役割があったのかもしれません。もちろん現代のテディベアのようにぬいぐるみとして子供に作られていたのかもしれませんが・・・
今我々が作り上げてきた工芸品や電子機器は、文明によるちゃんとした歴史があり、何をするものなのか、どういったものなのかといった文献は記録されてきています。しかし、地球崩壊の危機が訪れ、地球上の人間及びあらゆる情報が跡形も無く消え去り、モノだけが残存するとしたらどうなるでしょう。地球外の知的生命体が地球の痕跡を発見し、モノを見てもそれが何であるかは到底理解できないに違いありません。
太古の遺物の謎を紐解くのもそれに近いものがあるのでしょう。
考古学って面白い学問ですねぇ。
2,3コマ目は発掘作業です。
先月エントリーしたときには、「次回からは発掘できるであろう」と書きましたが、残念ながら先月は雨天のため発掘作業は中止でした。そのかわり、数年前に発掘された遺物の処理をやらされました・・・土に埋もれているものですから、ピカピカの状態で出てくるわけではありません。土にまみれた遺物をブラシと水で綺麗にしていくという作業が課されたのです。発掘は華のある作業ですが、遺物の処理はとても地味。
先週と今日は天候がギリギリ回復し発掘することが出来ました!
フィールドをいくつかに区画し、2名ほどで発掘を行っていきます。前回、「ここは出るよ」と先生に教えてもらった区画を担当したのですが、ホントザクザク出てきます。鍬のようなもので表土を削っていき、異物を感知したらそこをスコップで掘り起こすのですが、この宝探し感覚が物凄く楽しい。最初は頭を出しただけの遺物の周りの土を徐々に削っていき、全体像が現れたときはワクワクします。小石ほどの小さなものもありますが、携帯電話ほどの大きなかけらを発見したときは特に、やったぞ!って気分に。
出るよって言われただけあって結構なサイズの遺物がバンバン出てきます。
鍬をひと掻きするたびにかけらが現れるので、だんだんありがたみが薄れていくほど。
土器のかけらや石が主に発掘され、見慣れてきます。
金銭感覚の麻痺みたいな感じでしょうか。土器麻痺しちゃいました。
でも、担当した区画にて黒曜石と雲母の小さなかけらを発見し、喜びを感じる。
大きな石をいくつか並んで発見し、何かの痕跡があるのかも知れないので、新たなる楽しみが生まれました。
今週も、以前一緒に掘った人と、この区画を取られまいとフィールドに一番乗りして発掘を続けたのですが、なにせ丁寧さと根気が必要とされる作業なので、なかなか石の集合の全体像は現れてきません。
何か縄文人の生活が窺えるような痕跡が発見できればいいなぁ。